Mickey’s Room

〜日々を過ごす中で感じたこと・ちょっとした提案を綴ります〜

空から見守ってくれているおじいちゃんへ。

 

今日も幸せそうに微笑んでいますか?

どこかで私を見守ってくれていますか?

 

時が経つのは早いもので

おじいちゃんが亡くなってから

季節がもう2周もした。

 

おじいちゃんとの別れは

驚くほど突然やってきた。

突然のことすぎて感情が追いつかず

どこか現実のことだと思えぬまま

全てのことが流れるように終わった。

感謝とお別れの言葉は言えずじまいだ。

 

だから、少しばかりここに綴らせてほしい。

 

 

子供の時からおじいちゃんが好きだった。

 

徒歩15分で会いにいける場所にいて

用がなくても会いに行くこともあった。

高校時代は毎週月曜日の放課後に家をたずね

一緒にお昼ご飯を食べるのがおきまりだった。

 

おじいちゃんの家に入る時は

「こんにちは」「こんばんは」と

きちんと挨拶をする。

家族間でも欠かしてはいけない大事なことだ

というおばあちゃんの教え。

 

そして、玄関と居間の仕切りを開けると

すぐにおじいちゃんが見える。

眼鏡をかけ沢山の書類と向き合って

一生懸命仕事をしていたり

新聞を読んでいたり

テレビで大好きな洋画を見ていた。

 

私が挨拶をすると、顔を私の方に向けて

「みきさん、いらっしゃい。」

といつもにこやかに言ってくれた。

 

おばあちゃんとおじさんに挨拶を終え

手を洗ってテーブルの前に着席する。

少しの間おじいちゃんと話をしていると

おばあちゃんがキリの良いところで読書を終え

エプロンをかけて台所へ入ってゆく。

それを見た私も台所にいき料理を手伝う。

おじいちゃんはその光景を時々見ていた。

微笑ましそうに笑うその顔は

「幸せ」という言葉がとても良く似合う。

 

そして、食卓に料理が並ぶ。

一緒にいただきますをする。

 

食べながらたくさんの話をした

海外の話をいっぱい聞かせてくれた。

私が子供だった頃の話もたくさん。

よく公園に連れていってくれたこと

3歳で逆上がりが出来たこと

近所のお祭りに一緒に行ったこと

その時おじいちゃんにおんぶされてた私が

大きな犬に足を噛まれそうになったこと。

袋にキャラクターが描かれている綿菓子を買い

おじいちゃん家で一緒に食べたこと。

それらすべてを嬉しそうに話す人だった。

 

おじいちゃんには孫が4人いる。

その中で私を1番に気にかけてくれていた。

と、いうのは後から知った話なのだが

とにかく可愛がってくれた。

たくさん甘えさせてくれた。

「この家はみきさんの家でもあるんだから

何かあったらいつでもこっちの家においで」

そういって安心をくれた。

 

穏やかな性格の彼は

いつも私の心を穏やかにしてくれた。

 

 

会う時間だけでなく会っていない時間も

私たちのことを思ってくれる人だった。

海外に行けばバックやネックレス、香水を。

都内に行けばいきつけの百貨店で

塩鮭や海苔、佃煮、お菓子を

季節ごとには雛あられや炊き込みご飯を

自分の家と私の家の分を買ってくれた。

足が悪くなってもそれは続いて

貸し車椅子に乗って買い物をしてくれていた。

そうして私のもとにやってきた食べ物たちは

どれも美味しくて口にするのが幸せで

次はなんだろうな〜と楽しみだった。

 

今なら当時よりもありがたみがわかる。

どれだけ自分を想ってくれていたのか

どれだけ大切にされていたのか

それを思うと胸がいっぱいになる。

 

子供の私には可愛いと思えなかった

紐が長くて使えなかったあのバックも

今は可愛いと思うし紐の長さはちょうどいい。

人生で初めてもらった香水は

今も大事に大事に使っている。

なくなったらまた買って使い続けるつもりだ。

 

しょっぱくてご飯が進むあの塩鮭は

大きくて高級な味がするあの海苔は

青海苔が入ったごま塩は

さつまいもの炊き込みご飯は

色とりどりのひなあられは…

一体どこで買えるのだろう。

どこにいけばおじいちゃんがくれた

思い出の味をまた味わえるのだろうか。

彼のいきつけの百貨店を知れたときは

思い出の品をたくさん買いにいこう。

 

 

バックを見るたび、香水を使うたび

鮭を食べるとき、炊き込みご飯を食べるとき

ふと思い出すのはおじいちゃんのこと。

 

あなたが私に残してくれたのは

身に纏うことができるものと

形のないたくさんの幸せな思い出。

そして、あなたを思うときの穏やかな心。

 

本当におじいちゃんが大好きだった。

いや、過去のことにしたくない

現在進行形で大好きだ。

あなたは私の心の中でこれからも生き続ける。